複数解を認めないことについての考察
パンはパンでも食べられないパンは?
これはなぞなぞの中でもかなりベタなやつで、
誰しもが聞いたことあるかと思います。
答えはフライパン(僕の知ってる限りでは)なんですが、
ようはパンがつく食べれないものを挙げれば、フライパン以外でもいいわけです。
昔、チュートリアルが漫才のネタで、このなぞなぞの答えで「パンパース」と答えるものがありました。
福田が違うと言うと、徳井が、お前パンパース食べるの?と言ってこのやりとりが続くわけです。
さて、相変わらず枕が長くてすいません。
今回の内容としては、なぜ複数解が認められないんだろうと。
最近のクイズ番組を見てて、よく思うわけです。
答えはそれだけじゃないはずなのに、
間違いとして扱われるものが多いです。
数学の世界では、二乗して1となる数字は、と聞かれると、
答えは1と−1が正解なわけです。
証明に関しても、証明するという点では違いますが、
そこに至るプロセスは決して一つではありません。
そして、複数解を認めないというのは、めっちゃ危ういわけです。
つまり、それは可能性を奪って思考停止になるからです。
個性を伸ばすことにおいて、昨今オンリーワンなんて言葉を使ってますね。
某ジャニーズが歌にしてますよね、あんまり好きじゃない歌です、余談です。
個性なんてのは、無数にある答えの一つであるのに、
それは違うと言われて、没個性が進むわけです。
今回、ブログにこれを書いた理由としては、
ネットにおいて、たくさんの「解」が渦巻いていて、
たくさんの「個性」がばら撒かれているにも関わらず、
それがリアルにおいて全く評価されていないのが悲しいなと思ったからです。
そして更に悲しいのが、その人たちが、それでいいと思ってしまっていることです。
才能が閉鎖されていく瞬間を目の前で見るのは辛いです。
こんな適当な僕でも泣いちゃいます、嘘ですけど。
なんていうか、評価されたい、とかそういうレベルの話じゃなくて、
それより大したことない連中が評価されてるのが嫌なんですよね。
リアルってのが何かはわかりませんが、
少なくとも、ネットでたくさんの「解」を持ってる人は、
それをこれからも出し続けて欲しいと思ってます。
僕程度の人間ではございますが、目一杯評価してやるからな!偉そうでごめんな!偉くないのにな!
これを読んでるあなたのことですよ。